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ミドリイセキ|令和のトレインスポッティング


読者置いてけぼり。

衝動的文体。


ラップで言ったら、鬼の小名浜。

舐達麻のFLOATIN’。


卍や恵心というよりは、相模川の橋脚に残されるグラフィティのように。


衝動的で。荒削り。

丸裸の衝動。

表現せずにはいられない書き手。

書きながらドーパミンが溢れる様子が伝わってくる。

渾身の一振り。


出だしの疾走感。

さながら令和のトレインスポッティング。


レントンのようなクールな主人公は出てこない。

ベグビーみたいなヤツも出てこない。


リアルなトリップ描写。

自身の弱さに向き合う健気な主人公。

イリーガルな題材はあくまで演出。

本題は丁寧に描かれる人の心の動き。ピュアな感情。

この辺りがシンクロしてる。


「読みにくい」みたいなレビューも分かる。

「本を読む」態度だとそうなる。


大田ステファニー歓人を知りたい。


そんな動機で本作を手にとった。

理解度半分。けどリズムのままに読み進められる。

すると自然に引き込まれていく。

「読んでいる」とはちょっと違う感覚。

新しい読書体験。


あの「お花畑自身」を書いた川上未映子先生の帯もああなるわけだ。



記者会見の一説が素敵だった。

表現は時として様式を乗り越える。

何でも良いのかもしれない。














BADSAIKUSHも言ってた。




それをさらに続けて俺が思ったのは、この行為は、まぁ芸術をするという行為は全人類がした方がいいと思う。それは俺は何回も言うけど歌詞を書くこと。だけど、小説を書くとか、絵を描くとか、映画を作るとか、まぁすげー変な話、地面に絵を描くとか。もうなんでも誰でもゼロ円で誰でも簡単にできるし。

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